小江戸観光名所ガイド 一番街

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江戸の風情を残す川越のシンボル「時の鐘」。

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小江戸のメインストリートである一番街の中央に堂々とそびえ立つ川越タワー?です。(昇れませんが...)
蔵の町の景観に相応しい建造物ですよね。単に観光的に見るだけでなく、歴史的にみても面白いので、「時の鐘」の歴史に触れてみましょう。



文久元年(1861)に小川五郎衛門栄長によって鋳造された銅鐘は明治二六年(1893)の川越大火で鐘楼もろとも焼失してしまいました。
「時の鐘」の再建については、町当局と町民が一体となって、積極的に取組むこととなり、火災後の整備義捐金として寄付が募られたそうです。
川越に関係する実業家・政治家・学者や、川越町長、県知事と明治天皇下賜金1,500円、合計2,700余円が集められました。あまりピンとこないかもしれませんが、当時JR普通運賃(大阪−東京)3円56銭(現在8510円)だったことを考えると大金だったことが分かります。
そして大火の翌年明治二七年(1894)七月二六日完成。この銅鐘は、全長2.23m、龍頭のながさ40p、最大外径82p、同内径66p、重量731.25kg(195貫)です。
鐘楼の規模は、高さ15.9m、トタン屋根三層造りの木造鐘楼で、階段が付設されている。よく均正がとれ、蔵造りの家並みを圧して、高く聳える景観は、今日の城下町川越のシンボルとなりました。また、平成八年(1996)、環境庁主催の「残したい日本の音風景百選」に選定されました。
昭和五十年(1975)、川越市文化財保護協会が自動鐘撞機を寄贈し、現在の時の鐘はこの自動鐘撞機によって六時、正午、十五時と十八時の計四回、毎日、時を報らせているのです。
川越大火で自分たちのお店や住まいが焼けてしまったのにもかかわらず、真っ先に「時の鐘」を最優先し、建て直すなんて川越商人は強かったんですね。

参考:江戸時代の時の鐘
江戸の最初の時の鐘は、通称『石町(こくちょう)の時の鐘』で、日本橋に近い本石町(ほんこくちょう)(現在の中央区日本橋室町三丁目)に鐘楼があって、1日に12回時報を打っていました。
時の鐘の撞(つ)き方は、まず、3回続けて捨て鐘というのを撞いて、そのあと少し間をおいてから時刻の数(九ツなら9回)だけ撞いて、時刻を知らせました。捨て鐘とは、時報…」に当たるものですかね。
時報を知らせる時の鐘は全国に作られ、50000個程あったのではないかと言われています。この数字は村の数で、各村に1つあったらからという説があります。
参考:江戸の時刻
現在は、1日を24時間とする時刻が使われていますよね。しかし、江戸時代においては現在と全く異なる時刻を使っていました。
 まず、日の出前の薄明るくなった時を明六ツ(あけむつ)、日没後のまだ薄明るいたそがれ時を暮六ツ(くれむつ)と呼んで、昼夜の境目とし、これを時刻の基準とします(季節によって多少異なりますが、明六ツ、暮六ツは、日の出前、日没後いずれも約36分前後だそうです。)。そして、明六ツから暮六ツまでの昼の時間と、暮六ツから明六ツまでの夜の時間をそれぞれ六等分して一刻(いっとき)とし、1日を十二刻(とき)に分けました。
時刻の呼び方も変わっていて、明六ツの次が五ツ、四ツと減っていきますが、四ツの次は数字が飛んで九ツ(正午)となります。九ツの次は、八ツ、七ツ、暮六ツ、五ツ、四ツと減っていき、また四ツの次は九ツ(真夜中)になり、さらに八ツ、七ツ、明六ツと進むという面白い数え方ですね。
ここで問題?川越の時の鐘は、江戸時代でいう明六ツ(約6時)九ツ(約昼12時)暮六ツ(約6時)と3時の4回なんだけど、なぜ中途半端な時刻の3時にも鳴らすのでしょう?知ってる方教えてくださいな。(案内人の小町も知らないんです...)

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