人形は山伏姿の武蔵坊弁慶と草刈童子が二人。安政三年鼠屋五兵衛の作。囃子台が欄間仕立ての山車はしばらくの間、迫り上げ構造がなかったが、昭和二十年代に二重鉾、回り舞台に改造。平成に入り幕類を新調し現在の姿となる。県指定文化財。囃子は堤崎流の府川囃子連。
もとの鍛冶町。宝剣の小狐丸を打つ小鍛冶宗近の人形は原舟月の作で、天保六年に修理した記録がある。二重鉾で四ツ車の山車は、昭和三年に回り舞台に改造。欄間形式の囃子台には鳳凰の彫刻がある。県指定文化財。囃子は堤崎流で幸町囃子会。
もとの志義町。人形は舞楽の羅陵王で、山車とともに文久二年に江戸神田の仲秀英の作。二重鉾の四ツ車、唐破風つきの囃子台という形式では最古の山車。明治三十四年に他に先がけて回り舞台に改造。県指定文化財。囃子は王蔵流で中台囃子連中。県指定無形民俗文化財。
もとの上松江町。人形は浦嶋太郎で文久二年に仲秀英と古川長延の作。明治二十六年の大火を逃れたもの。山車は大正四年に復活。二重鉾、唐破風つきの囃子台で、四ツ車の回り舞台。近年になり大修復を行った。県指定文化財。囃子は堤崎流で町内の浦嶋囃子連。
もとの江戸町。人形は天鈿女命で明治五年に仲秀英の作。山車は二重鉾の三ツ車、欄間仕立ての囃子台。全体に前傾姿勢で、牛に曳かせていた江戸型山車本来の面影を残す。県指定文化財。囃子は堤崎流で鈿女会囃子連。
人形は天鈿女命で明治二十二年の作。山車は天保年代の一本柱勾欄つきの風情を伝えて、貴重な存在。口伝では旧十ヶ町から譲りうけたという。県指定文化財。囃子は小村井流で町内の今成囃子連。
人形は能、歌舞伎から題をとった龍神。山車は昭和二十六年につくった屋台を改造し昭和六十三年に完成。二重鉾、四ツ車、回り舞台、島村圓哲が彫った龍をもつ。市指定文化財。囃子は芝金杉流で町内の松龍会囃子連。
人形は日本武尊。山車は昭和二十七年に原型ができて以来、順次改造を重ねてきた。現在は二重鉾の四ツ車、回り舞台で囃子台は唐破風つき。囃子は芝金杉流で北山田囃子保存会。
もとは旧十ヶ町の本町で、昭和三十四年に山車が復活。白木造りで二重鉾、四ツ車、唐破風つき囃子台で回り舞台。牛若丸の人形は昭和四十四年に完成。囃子は小村井流で牛若囃子連。
人形は川越城に縁のふかい太田道灌。山車は二重鉾の四ツ車、唐破風つきの囃子台で回り舞台。昭和二十七年の作。他の山車に比べ大きな仕上り。囃子は堤崎流で雀会囃子連。
昭和二十三年に山車の原型ができた。昭和五十七年に改造。川越にゆかり深い河越太郎重頼の人形を新調。二重鉾の四ツ車、唐破風つきの囃子台で回り舞台。囃子は木ノ下流で月鉾囃子連。
明治三十年代に石田地区でつくった山車で、人形は昭和二十四年に源ョ光となる。山車は二重鉾の四ツ車、唐破風つき囃子台で回り舞台。囃子は芝金杉流で石田囃子連。
昭和三十二年にできた山車で、腰回りの大量の彫刻が特徴。二重鉾の四ツ車、唐破風つきの囃子台で回り舞台。囃子は神田大橋流で町内の竹生会囃子連。
人形は八幡太郎義家。山車は二重鉾の四ツ車、唐破風つきの囃子台で回り舞台。平成五年に幕類と漆、金箔を施して完成。囃子は王蔵流で小室囃子連。
昭和二年に東京都世田谷区で原型ができる。昭和四十六年に通町と親交の深い川島町角泉の囃子連が譲りうけたという。二重鉾の四ツ車、唐破風つきの囃子台で回り舞台。囃子は木ノ下流で角泉囃子連。
平成十三年、山車の原型を譲り受け、同十四年に初曳き。その後、中匂欄、三味線胴、上匂欄等を製作。二重鉾、四つ車、回り舞台、唐破風つきの囃子台をもつ。人形は三代将軍の徳川家光。囃子は堤崎流で榎会囃子連。
平成二年に丸広百貨店が建造。同十四年に川越市に寄贈。人形は能の祝福曲に取材した猩々。山車は二重鉾の四ツ車、唐破風つきの囃子台。囃子は山車参加のない囃子連が乗演。今年は十六日が信亀会囃子連。十七日は(午前)小中居囃子連、(午後)砂囃子保存会。